豊島 与志雄
蛸の如きもの
――大いなる蛸の如きもの、わが眼に見ゆ。
八本の足をすぼめて立ち、入道頭をふり立て、眼玉をぎょろつかせて、ふらりふらり、ゆらりゆらりと、踊り廻り、その数、十、二十、或るいは三十、音楽のリズムの緩急には殆んど無関係に、淡い赤色の照明の中を、ふらりゆらり、くっついたり離れたり、踊り歩き、音楽が止むと、狭いホールの四方に散り、足をひろげてべたりと屈みこむのである。キャバレー・ルビーの夜のひと時。
「なぜ黙ってるの。」
然し、何をしゃべることがあろう。誰だって、口をつぐんでひっそりしている。或るいは、口を利いてもひそひそと、黙ってるのに等しい。蛸に声が出るものか。口をくうくう鳴らし、吸盤をぴちゃぴちゃさせるだけだ。八本の肢体は足ともなれば腕ともなる。足を組み合せ、腕を組み合せ、または互に絡み合せて、吸盤をぴちゃぴちゃ……。擽ったいじゃないか。穢らわしいじゃないか。そら、バンドがまた始めやがった。こんどは踊りっ娘だ。静かに見ていろ。青い照明になったから、そう邪魔にはなるまい。