坂口 安吾
遺恨
梅木先生は六十円のオツリをつかんで中華料理店をとび出した。支那ソバを二つ食ったのである。うまかったような気がする。然し、味覚の問題ではない。先生は自殺したくなっていた。インフレ時代に物を食うということが、こんなミジメなものだとは。お金をだしながら乞食の自覚を与えられたのであった。
梅木先生は裏口営業とはどんなものか知らなかった。終戦以来、料理店の門をくゞるのは、はじめてゞあった。
裏口営業などゝ云われているが、表に、只今営業中、という札が下っている。すると、裏口とはどういうことだろう? いっぺん裏口をくゞったら、どんなに爽快だろうか。せめて、只今営業中、の表口でいゝからくゞってみたいものだと考えていたのである。
この日、梅木先生は一方ならぬ決心をしていた。どうしても、食う。あの只今営業中、の札のかゝった戸口をくゞるのだ。