坂口 安吾
いづこへ
私はそのころ耳を澄ますやうにして生きてゐた。もつともそれは注意を集中してゐるといふ意味ではないので、あべこべに、考へる気力といふものがなくなつたので、耳を澄ましてゐたのであつた。
私は工場街のアパートに一人で住んでをり、そして、常に一人であつたが、女が毎日通つてきた。そして私の身辺には、釜、鍋、茶碗、箸、皿、それに味噌の壺だのタワシだのと汚らしいものまで住みはじめた。
「僕は釜だの鍋だの皿だの茶碗だの、さういふものと一緒にゐるのが嫌ひなんだ」
と、私は品物がふえるたびに抗議したが、女はとりあはなかつた。