坂口 安吾
戯作者文学論
この日記を発表するに就ては、迷つた。書く意味はあつたが、発表する意味があるかどうか、疑つた。
この日記を書いた理由は日記の中に語つてあるから重複をさけるが、私が「女体」を書きながら、私の小説がどういふ風につくられて行くかを意識的にしるした日録なのである。私は今迄日記をつけたことがなく、この二十日間ほどの日記の後は再び日記をつけてゐない。私のやうにその日その日でたとこまかせ、気まぐれに、全く無計画に生きてゐる人間は、特別の理由がなければ、とても日記をつける気持にならない。
私はこの日記をつけながら、たしかに平野君を意識してゐたこともある。平野君は必ず「女体」に就て何かを書き、作者の意図が何物であるかといふやうなことを論ずるだらうと考へた。それに対して私がこの日記を発表し、平野君の推察と私自身の意図するところと、まるで違つてゐるといふやうなことは、然し、どうでもいゝことだ。批評も作品なのだから、独自性の中に意味があるので、事実、私が私自身を知つてゐるかどうか、それすらが大いに疑問なのである。
だから、私は、この日記が私の「作品」でない意味から、発表するのを疑つたのだが、然し、考へてみると、特に意識せられた日録なので「作品」でないとも限らない。