坂口 安吾
日本精神
ヨーロッパ精神は実在するか、また実在するとせば如何なるものがそれであるか、といふことが西洋の思想界でもだいぶ問題になつてゐるといふことで、私もヌーヴェル・リテレールのアンケートで同じ質問の解答を読んだ記憶がある。ヴァレリイとかロマンローラン、クロオデル等といふフランス文壇の大御所達が顔を並べて答へてゐたが、個々の意見は記憶にない。概してヨーロッパ精神はすでに実在しない。実在するとせば世界精神としてゞあらうといふ意見が多いやうに思はれた。
このことは我々にも常識的に考へられることであり、また常識的ならざる立場からでも一応は否定できないことであつて、今日ヨーロッパ精神を指摘することは難しい。
同様に我々の立場でも日本精神を独立した形において指摘し把握することは、今日はなはだ難事である。日本精神も今日では必然的に世界精神に結びついてゐる。また結びつかざるを得ないのである。
我々の生活にしても、日本的であるとゝもに甚世界的でもありさういふ自然の流れから引離して特に日本的であらうとすれば、形のために却つて自然の精神を失ひ概念的な日本人でしかありえなくなる。一日本精神の問題ではなく一般に「祖国精神」といふものは今日世界精神の形の中で再生しなければならないのだ。