坂口 安吾
明治開化 安吾捕物
年が改って一月の十三日。松飾りも取払われて、街には正月気分が見られなくなったが、ここ市川の田舎道を着かざった人々の群が三々五々つづいて通る。一見して東京も下町のそれと分る風俗。芸者風の粋な女姿も少からずまじっている。
深川は木場の旦那の数ある中でも音にきこえた大旦那山キの市川別荘へ葬式に参列する人々であったが、それにしては喪服姿が目につかなくて、女姿は遊山のようになまめかしいばかりである。それも道理。お葬式とは云え、死んだフリをして生きかえるという趣向のものだ。
山キの当主、不破喜兵衛は当年六十一。一月十三日というこの日が誕生日で、還暦祝いを葬式でやろうというのである。
厄払いの意味もあった。甚だ老後にめぐまれない人で、中年に夫人を失ったのが晩年の孤独のキザシであった。彼自身は生れつき頑健な体質で病気知らずと人の羨む体質だったが、死んだ夫人は病弱だったせいか、生れた三名の子供のうち、兄と姉はすでにこの世になく、一人残った清作も病身であった。骨が細くヒョロ/\と青白く育って、見るからに長命の相が欠けているから、