国木田 独歩

女難

一

今より四年前のことである、(とある男が話しだした)自分は何かの用事で銀座を歩いていると、ある四辻の隅に一人の男が尺八を吹いているのを見た。七八人の人がその前に立っているので、自分もふと足を止めて聴く人の仲間に加わった。

ころは春五月の末で、日は西に傾いて西側の家並みの影が東側の家の礎から二三尺も上に這い上っていた。それで尺八を吹く男の腰から上は鮮やかな夕陽に照されていたのである。

夕暮近いので、街はひとしおの雑踏を極め、鉄道馬車の往来、人車の東西に駈けぬける車輪の音、途を急ぐ人足の響きなど、あたりは騒然紛然としていた。この騒がしい場所の騒がしい時にかの男は悠然と尺八を吹いていたのである。それであるから、自分の目には彼が半身に浴びている春の夕陽までがいかにも静かに、穏やかに見えて、彼の尺八の音の達く限り、そこに悠々たる一寰区が作られているように思われたのである。

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