寺田 寅彦
津田青楓君の画と南画の芸術的価値
私は永い前から科学と芸術、あるいはむしろ科学者と芸術家との素質や仕事や方法に相互共通な点の多い事に深い興味を感じている。それで嗜好趣味という事は別として、科学者として芸術を論じるという事もそれほど不倫な事とは思われない。のみならず自身に取っては芸術上の問題を思索する事によって自分の専門の事柄に対して新しい見解や暗示を得る事も少なくないのである。それと同時に、科学者の芸術論が専門の芸術評論家の眼から見て如何に平凡幼稚なものであっても、芸術家の芸術論と多少でも異なるところがあらば、それは少なくも或る芸術家のために何らかの参考にならぬとも限らない。もしそうだとすれば自分がここにあえてこの一篇を公にするのも強ち無意味ではないかもしれない。例えば山出しの批評も時には三越意匠部の人の参考になるかもしれず、生蕃人の東京観も取りようでは深刻な文明批評とも聞える事があるかもしれない。
この稿を起したもう一つの理由は、友人としての津田君の隠れた芸術をいくぶんでも世間に紹介したいという私の動機からである。これも一応最初に断っておいた方がよいかと思う。
津田君は先達て催した作画展覧会の目録の序で自白しているように「技巧一点張主義を廃し新なる眼を開いて自然を見直し無技巧無細工の自然描写に還り」たいという考えをもっている人である。作画に対する根本の出発点が既にこういうところにあるとすれば津田君の画を論ずるに伝説的の技巧や手法を盾に取ってするのはそもそも見当違いな事である。小笠原流の礼法を標準としてロシアの百姓の動作を批評するようなものかもしれない。あるいはむしろ自分のような純粋な素人の評の方が却って適切で