中里 介山
大菩薩峠
一
田山白雲は北上川の渡頭に立って、渡し舟の出るのを待兼ねている。
舟の出発を待侘びるものは田山白雲一人ではなく、士農工商が一人二人と渡頭へ集まってひっかかる。こちらの岸もそうだから、向うの岸も同様に、土農工商がせき留められて、舟を待つ人の数は増すばかりです。
田山白雲は焦ったがりながら、渡頭に近い高さ三メートルばかりの小丘の上で、遠眼鏡を眼窩の上から離さず、マドロスの逃げ込んだ追波の本流の方をしきりに注視していましたが、そのうちに、向う岸の渡頭に集まって舟を待侘びる士農工商の群れが、急に動揺をはじめたような模様が見えます。同時にその舟待ちの群れの中から、転がり出したように躍り出して来た一個の人物があることを認めて、興味の遠眼鏡をその方に転じました。