蘭 郁二郎
舌打する
チェッ、と野村は舌打をすることがよくあった。彼は遠い昔の恥かしかった事や、口惜しかったことを、フト、なんの連絡もなしに偲い出しては、チェッと舌打するのである。
(あの時、俺はナゼ気がつかなかったんか、も少し俺に決断があったら……)
彼はよくそう思うのであった。けれど夢の中で饒舌であるように、現実では饒舌ではなかった。女の人に対しても口では下手なので、手紙をよく書いた。けれど矢っ張り妙な恥かしさから、彼の書いた手紙には、裏の裏にやっと遣る瀬なさを密めたが、忙しい世の中では表てだけ読んで、ぽんと丸められて仕舞った。
又女の人と一緒に歩いても、前の日に一生懸命考えた華やかな会話は毛程も使われなかった。そして、彼はただ頷くだけの自分を発見して淋しかった。然しその時は、ただ一緒に歩くだけで充分幸福であるのだが、あとで独りになると、チェッと舌打するのである。