与謝野 晶子・与謝野 寛

満蒙遊記

日本人が先史時代から永久の未来に亘り、いろいろの意味で交渉の最も深い隣国の現状について、余りにも迂濶であるのは愧かしい事である。明治以来の応急の必要が、海外の知識と云へば、欧米の其れに偏せしめたのであつた。今はその偏見の革正せらるべき時である。日本人の視点は邇きに向つて照準されねばならない。

これまでも日本人の一部は近代の隣国を間卻しては居なかつた。しかし其れは軍事眼で無ければ経済眼に限られて居た。若くは専門的な外交眼から観察するだけであつた。日清日露の両役より最近の済南事件に至るまで、多大の血税と軍費とを犠牲にしながら、それが何の理由に本づいて為され、併せてそれが如何なる効果を生じたかに就いては、国民の大多数は関知しないのである。

偏頗な観察と思想とに由つて行れた事には、幾多の錯誤を免れ難い。殊に民族と民族との関係に於ては、それが容易に抜き難い相互の憎悪をさへ結果する。口さきの日支親善が、気分としての且つ事実としての日貨排斥に対して全く無力であるのを如何ともしがたい。

個人と個人、民族対民族の心からの親善融和は、唯物主義と強権主義の外の問題である。それは相互の抽象的論議に由ることでもない。何よりも愛と趣味に和らげられた気分感情の交響に由つて培養し実現せらるべき問題である。

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