海野 十三
恐怖について
恐怖なんて、無くもがなである。
――と片づけてしまふ人は、話にならない。恐怖は人間の神經を刺戟することが大きい。ひどい場合は、その場に立ち竦んで心臟痲痺を起したり、或ひは一瞬にして頭髮悉く白くなつて白髮鬼となつたりする。そんな恐怖に自分自身が襲はれることはかなはんが、さういふ恐怖がこの世にあることを聽くのは極めて興味深い。探偵小説が喜ばれる一つの原因は、恐怖といふものが盛られてゐることに在る。
探偵小説を好む私として、恐怖に魅力を感ずるのは、當然のことであらう。今日は一つ、平生私の感じてゐる恐怖の實例をすこし拾つて、同好の諸君に捧げようと思ふ。
私は踏切を通ることが恐しい。うちの近所には、番人の居ない踏切があつて、よく子供が轢き殺され、「魔の踏切」などと新聞に書きたてられたものである。あすこへ行き掛ると、列車が風を切つて飛んできて、目と鼻との間を轟々と行き過ぎることがある。列車が通過してから、その光つてゐるレールを跨ぐときに、何とも名状し難い戰慄を覺える。もしも自分の眼が狂つてゐて、列車が見えないのだつたらどうだらう。かう跨いだ拍子に、自分は轢き殺されてゐるのだ。人間といふものは、死んでも、死んだとは氣がつかないものだといふ話を聞いてゐるので、レールを跨ぎ終へたと思つても安心ならない。こんな風に恐怖をもつて踏切を渡るのは、私一人なのだらうか。