南方 熊楠
人柱の話
(南方閑話にも收めたれど、一層増補したる者を爰に入る)
建築土工等を固めるため人柱を立てる事は今も或る蕃族に行なはれ其傳説や古蹟は文明諸國に少なからぬ。例せば印度の土蕃が現時も之を行なふ由時々新聞にみえ、ボムパスのサンタルパーガナス口碑集に王が婿の強きを忌んで、畜類を供えても水が湧かぬ涸池の中に乘馬のまゝ婿を立せると流石は勇士で、水が湧いても退かず、馬の膝迄きた、吾が膝まできた、脊迄きたと唄ひ乍ら、彌々水に沒した。其跡を追つて妻も亦其池に沈んだ話がある。源平盛衰記にも又清盛が經の島を築く時白馬白鞍に童を一人のせて人柱に入れたとあれば乘馬の儘の人柱も有つたらしい。但し平家物語には、人柱を立てようと議したが罪業を畏れ一切經を石の面に書いて築いたから經の島と名附けたとある。
今少し印度の例を擧げると、マドラスの一砦は建築の時娘一人を壁に築き込んだ。チユナールの一橋は何度かけても落ちたから、梵種の娘を其地神に牲にし、其れがマリー乃ち其處の靈と成り凶事ある毎に祭られる。カーチアワールでは城を築いたり塔が傾いたり池を掘るも水が溜らぬ時人を牲にした。シカンダールブール砦を立てた時梵種一人とヅサード族の娘一人を牲にした。ボムベイのワダラ池に水が溜らなんだ時村長の娘を牲にして水が溜つた。シヨルマット砦建立の際一方の壁が繰返し落ちたので或る初生の兒を生埋すると最早落ちなんだといふ。近頃も人口調査を行なふ毎に僻地の民は是は橋等の人柱に立てる人を選ぶ爲めだと騷ぎ立つ。河畔の村人は橋が架けらるゝ毎に嬰兒を人柱に取られると驚惶する。(一八九六年版クルックの北印度俗宗及俚俗卷二頁一七四。一九一六年版ホワイト