岸田 国士

山形屋の青春

一

山形屋の若主人宇部東吉は東京へ商品の買ひ出しに出たきり、もう二週間も帰つて来ない。そのうへ、消息がふつつり絶えたきりになつてゐる。こんなことは今までに例のないことだから、留守居の細君みよ子はもう眼を泣きはらし、父親の紋七はコタツの中でぷりぷり言ひ、近所近辺はその噂でもちきりであつた。

上州三原からバスで鳥居峠を越える県道が、最近の大水で流されたあとへやつとかゝつた吾妻川の仮橋を渡ると、浅間の裾の鬼の押出しと呼ばれる熔岩地帯へ通じる鎌原の里である。登山口としてはわりに世間に知られてはゐないが、附近には鹿沢温泉とか、田代湖とかを含むいはゆる観光地もあつて、季節々々にはハイキングの客が相当乗り降りをする場所になつてゐる。山形屋は、そのバスの停留所の前にある雑貨店を兼ねた飲食店である。

もともと行商としてこの土地へ流れこんで来た宇部紋七が、二十年がかりでこれまでにしたといふだけで、なにひとつ取柄のある店ではなかつた。山奥の不自由さに慣れた人々を相手に、小ずるく立廻つた結果が、今ではいくらか、土地で口の利ける身分になつたことを彼は自慢にし、まだ五十になるかならぬかの年で、店を貰ひ子の東吉に委せ、自分は無鑑札で古物の売り買ひなどをし、東吉に嫁を持たせてからは、独り身の気楽さで、外を泊り歩いてばかりゐるのである。

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