伊丹 万作

映画の普及力とは

現在の映画はまるで植物のようだ。それは歩かない。こちらが出かけて行かねばならぬ。したがつて我々病人にはまつたく無関係のものだ。

何年かまえ松竹座を除いてはまだ京都中の映画館にも映画会社にもトーキーの再生装置がなかつたとき、本願寺の大谷さんのおやしきの一隅にはちやんとトーキーの映写室がありウェスタンの再生機がすわつていた。

本願寺は寺であるが、いわゆる寺ではない。試みにその事務所をのぞいてみよ。規模からいつて大都会の市役所くらいはある。なぜこんなことを知つているかというと、私は映写室を探して迷宮のような本願寺中をさまよい歩いたのである。

こんな所にトーキーの映写室くらいあつても我々の家に犬小舎が置いてあるほどの感じしかない。しかし本願寺さんほどのクラスは日本の中に何パーセントもありはしないからトーキーというものは家庭を単位とする場合その普及率はゼロにちかい。

青空文庫の作品カード