岸田 国士
戯曲時代
雑誌の創作欄が、昨日までは小説のみで埋められてゐたのに反し、読み物としての戯曲が可なりの頁数を占めるやうになつた今日の時勢を、誰かゞ、名づけて戯曲時代と呼んでも、それは少しも不思議ではない。
『戯曲時代』――これは、また、十月創刊の一同人雑誌の標題である。その同人の一人が、自ら「劇芸術界の山椒」と名乗るその雑誌の内容については、他に、之を評する適任者があらう。それはさうと、雑誌『戯曲時代』を生んだ世界未曾有の戯曲時代――故意か偶然か、その時代に生れ合せて、同じく戯曲作家の仲間入りをはじめた僕の――僕とは限らないが――さういふ人間の、心持ちに少々立ち入つて見たら、表面は兎も角、存外悪い時に出て来たといふやうな、後悔に似たものがありはしないだらうか。
なぜかと云へば、戯曲時代といふ素晴らしく景気のよささうな言葉の裏には、独身主義とでもいふやうな、一種の寂しい響きが籠つてゐるからである。
それは、誰でも感じてゐる通り、舞台の暗黒時代、俳優の払底時代を意味してゐるのではないか。つまり、演劇の演劇としての恐慌期を意味してゐるのではないか。