岸田 国士
梅雨期の饒舌
自分一人の力ではどうにもならないやうなことを、やれどうしなければならぬ、かうしなければならぬと、むきになつていふのは、落付いて考へて見ると、甚だ滑稽であり、ある種の人から見れば、さぞ片腹痛く思はれるであらうが、何時の時代にもまた何れの社会にも、かういふ「おせつかい」がゐて、頼まれもせぬことを、頭痛に病んでゐるらしい。
例へば、社会改良(或は革命)家とか、文芸批評家とかいふ類の人間は、どつちかといへば、この「おせつかい」が多く、私などは、その何れにも属してゐないつもりでゐながら、たゞ芝居のことゝいふと、何時の間にか眼に角たてゝ物をいつてゐるので、気がついて見ると可笑しくなることがある。
私は一体何のために、誰のために、こんなにまで「芝居」のことを考へ「芝居」のことを論じ「芝居」のために時間と労力とを費してゐるのだらう。
かう考へて来ると、自分ながら気恥かしくなる。