岸田 国士

六号記

どうにもならぬことを、ひとりぶつぶつ云つてもしようがない、と思ふやうになつてゐることは事実である。誰でも考へてゐるやうなことを、わざわざ口に出して云ふのは、野暮の骨頂だ、といふ風にも教へられてゐる。が、しかし、どうにもならないとは、一体、いつからきまつてしまつたのであらう? 当り前でないことが当り前で通るやうになつたのは、誰もが考へてゐるだけで、公然とそれを云はないからではないかと、私は近頃しきりにそそのかされるやうな気持になつて来た。

では、どういふ風にそれを云つたらいいか、誰に向つてそれを云ふべきか、先づ何から云ひ出したものであらうか?

ひとつひとつを取り上げると、さも「小さなこと」に似てゐる。そんな小さなことではないと思ふのだが、それを「大きなこと」に結びつけると、話が空漠として誰の胸にも響かなくなりさうだ。わかるものにはわかるに違ひないが、わからせたい人間がびくともしないにきまつてゐる。

私は、いま、自分の仕事のことを楽しく考へる習慣を失はうとしてゐる。仕事をしてゐさへすればよいのだ、といふ自信がもてないのだ。勿論、かういふ時代に、わき目もふらず自分だけの仕事に没頭し得る人達を尊敬し、羨むことは、さういふ人達の仕事が立派である場合に殊に文句はないのであるが、私は、不幸にして、演劇といふ専門を撰んだためか、自分だけの仕事ではすまされない境遇におかれてゐる。自然、われわれの成長を阻む一切のものを、単なる現象として、冷やかにこれを視過すことができないのであらう。

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