岸田 国士
演劇論の一方向
凡そ、如何なる芸術と雖も、若干の「法則」に従はないものはない。と同時に、それらの「法則」を無条件に受け容れることは、甚だ「保守的な」態度と考へられてゐる。新しい芸術運動は、常にそれらの法則に対する反抗であり、又は、既成の法則に代る別個の法則の発見を目指してゐたのを見てもわかる。
偶々、あらゆる法則の無視といふ宣言がなされたにしても、何かを「創り出す」ためには、既に、何かに「拠る」ことが必要であり、意識するとしないとに拘はらず、厳として、創造を貫く精神の、つつましき母胎となるべきものが存在してゐることを見逃すことはできぬ。
世界の戯曲史を繙く時、われわれは、古典主義の「法則」が、かの浪漫派の馬蹄に蹂躙される事実を見、近代の黎明が、輝やかしい希望を乗せて近づき来る姿に胸を躍らせた。
そして、ある者は、今日、「戯曲文学」が、一切の「法則」から脱して、自由、且つ大胆な創造が許されてゐるものと信じてゐる。ところが、さう信じるものの手で、あらゆる試みがなされたに拘はらず、演劇そのものの進化はおろか、その行詰りが既に叫ばれてゐるのである。