岸田 国士
観て忘れる
自分で思ひ立つて映画を観に行つたことはまづないと云つていゝ。大ていは女たちの御招伴である。これは映画と女とを一緒に軽蔑してゐるやうに聞えるが、決して女も映画も軽蔑してゐるわけではなく、全く無精だからである。――芝居の方はどうかと訊かれると、これはまた一層ひどい。一年に二三度あるかなし、その代り、これは自分で思ひ立つ。
評判になつた封切ものなど、家の誰かゞ観て来て話をするのだが、つひそのまゝになつてしまふことが多い。
今頃こんな標題を持ち出すとその道の人は嗤ふかも知れないが、「嘆きのピエロ」といふのでも、つひ先達ある機会に初めて観たので、それまでは、なんといふことなしに、もう何処かで観たやうな気がしてゐたのである。実物を観た後でも、その前に想像してゐたいろいろの場面が、はつきりしたかたちこそ取つてはゐないが、何時までも頭にこびりついてゐて、実物の印象がだんだん影を薄くして行くのである。
最近観たものと限られては非常に窮屈になるから、私だけは特別の詮議で、今迄観たものといふ風にして感想を述べさせて貰ひたい。映画について印象めいたものを書くのはこれが始めてだし、さう古いことは思ひ出さうとしても思ひ出せないんですからいゝでせう。