岸田 国士
田巻安里のコーヒー
一
田巻安里は、甚だコーヒーをたしなんでゐた。彼は、朝昼晩、家にあつても外にあつても、機会を選ばずコーヒーを飲んだ。友人と喫茶店にはいり、「君はなに?」と問はれゝば、「無論コーヒーさ」と空うそぶき、コーヒーさへ飲んでゐれば、飯なんか食はなくてもいいと放言した。
だれも、彼がコーヒーをたしなむことに偽りがあるとは思はなかつた。たゞ、敏感な友人は、彼がコーヒーをたしなむことは、寧ろ「コーヒーをたしなむこと」をたしなむに近いと思つてゐた。
そこで問題になるのは、コーヒーそのものがある人のし好に適ふ理由は明瞭であるが、「コーヒーをたしなむこと」が、何故にし好愛着の目的物となり得るかである。