岸田 国士
新劇の黎明
一
劇文学の夜は永く続いた。黙阿弥を最後として、わが国には、ほんたうに劇作家といへる劇作家が現れてゐない。ほんたうの劇作家とは、その名前で民衆を劇場に引き寄せ、独特の思想と技術によつて舞台の生命を創造しながら、民衆と共に愉しむことのできる才能をいふのである。
もちろん、ある意味でいくらかの手腕と抱負とを示した岡本綺堂のやうな人はゐるけれども、現代の演劇にその足跡を残すまでの業績を示したとは言ひ難い。森鴎外は、まつたく別の素質によつてわが国の劇文学に近代の洗礼を与へた。しかし、あくまでも、その劇作品は余技の域を出でず、たゞ、いくつかの外国戯曲の紹介が同時代の若き劇文壇に新鮮な刺戟を与へたのみである。
この刺戟のなかゝら二つの貴重な結果が生れた。一つは、小山内薫の自由劇場運動であり、もう一つは、純乎たる劇詩人久保田万太郎の登場である。