岸田 国士
岩田豊雄と私
一九二三年(大正十二年)九月一日、例の関東震災で東京の劇場はことごとく灰になつた。が、翌年の三月には早くも新劇の胎動が始まつた。最も代表的なものはいうまでもなく築地小劇場の旗挙げであるが、その傍らで、いくぶん違つた道を進もうとしたいくつかの小さなグループの一つに、新劇協会という劇団があり、当時、帝国ホテル演芸場と呼ばれていたささやかなホールで、細々と公演をつづけていた。
わが岩田豊雄がフランス滞在を切りあげて日本に帰つて来たのは、ちようどその頃であつた。
私も、その少し前に故国の土を踏んだのだが、岩田と私とはほとんど同じ時代にフランスの芝居を勉強しに行つたのに、遂にそれまで相識る機会はなかつた。
彼と私とを結びつけたのは、ヴィユウ・コロンビエの廊下でも築地小劇場の楽屋でもなく、実は、この新劇協会の稽古場であつた。