岸田 国士

「にんじん」の訳稿を終へて

(此の一文は考ふるところあつて特に挟込となす)

この翻訳は全く自分の道楽にやつた仕事だと云つていゝ。初めはのろのろ、しまいには大速力で、足かけ五年かゝつた。創作月刊、文芸春秋、作品、新科学的文芸、詩・現実、新青年、改造等の諸雑誌に少しづゝ発表した。

最初に断つておきたいことは、この小説を作者自身が脚色して同じ題の戯曲にした、それを、畏友山田珠樹君がもう七八年前、「赤毛」といふ題で翻訳をし、これが相当評判になつて、今日ルナアルの「ポアル・ド・キヤロツト」は「赤毛」といふ訳名で通つてゐるかも知れないことだ。僕は、「赤毛」といふ題も結構であると思ふが、元来訳しにくい原名であるから、山田君の「赤毛」は山田君の専売にしておいた方がよいと思ひ、故ら異を樹てる意味でなく、自分は自分の流儀に訳してみたまでゞある。原名を直訳すれば「人参色の毛」である。

初版の刊行は千八百九十四年、作者三十一歳の時である。

青空文庫の作品カード