岸田 国士

「新日本文学全集第三集・岸田國士集」あとがき

私は最初戯曲家として出発し、今でもその方が専門のつもりでゐるが、戯曲を書きつづけるためには、なにかしらもつと刺激がいるといふ気がする。芝居そのものに興味がもてるやうな状態でなければ駄目である。

そこへいくと、小説の方は、少くとも新聞雑誌の長篇小説といふものは、引受けたら最後、責任を果すまでは、ある軌道に乗せられて、目に見えない力と取つ組みあつて行かねばならぬ。途中で息が切れさうになることもあるが、それを我慢して押し通すところに、一種の張合が生じる。

戯曲も小説も含めて、これが純文学かどうかといふやうなことを、私はさう問題にしてゐない。さういふ標準は、文学的には微妙な精神の機能にあるのだから、作家が意識的にこれを求め得る部分よりも、無意識のうちにそこへ導かれる部分の方がより多いのだと信じてゐる。

狭いといふことはたしかに、純粋へ通じるひとつの近道である。しかし、私の作家としての希ひは、なによりも、「幅をもつ」といふことである。

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