岸田 国士

「古い玩具」あとがき

『古い玩具』は、一九二三年、パリの旅舎で書いた私の最初の戯曲である。私が戯曲を書くことを思ひ立つたのは、当時、親しくその劇団に出入してゐたピトエフ夫妻のすゝめによつて、自分で同劇団のために脚本を書くことを試みたのである。題を『黄色い微笑』として、それを仏文で書いてピトエフ夫妻に示した。戯曲を夫妻に手渡すと同時に、私は、突然肺患の再発のためにパリを去つて、ピレネ山中のポオに転地しなければならなかつた。ピトエフ氏からは、たゞ、「君の戯曲『黄色い微笑』を読んだ。はなはだピトレスクだ。機会があつたら上演してみたい」といふ返事を受取つただけで、私の病ひはなかなか快方に向はず、志半ばにして日本に帰らねばならなかつた。たまたま帰朝後、山本有三氏の主宰で、新潮社から『演劇新潮』が創刊されるに当り、この作品が同誌に掲載されることになつた。(大正十三年三月)

この作品で、私は、正面から民族問題を扱はうとしたわけではなかつた。むしろ、東洋の一青年としての孤独な旅の感傷が、わづかに戯曲といふ、当時私の関心の的であつた文学形式にもられることで満足した。この戯曲に対する世評はまち/\であつたが、まだ、戯曲家として立つ決心はつかなかつたにしても、当時の日本の演劇界に対して、幾分の批判を含んだ、新しい演劇美の創造をめざした戯曲創作の希望が、やゝ明確に、私の進路をさし示した。山本有三氏をはじめ、先輩友人諸氏の好意ある声援に励まされて、相次いで『チロルの秋』(大正十三年九月――演劇新潮)『命を弄ぶ男ふたり』(同十四年二月――新小説)『ぶらんこ』(同年四月――演劇新潮)『紙風船』(同年五月――文芸春秋)『パン屋文六

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