岸田 国士
甘い話
僕は小供の時分、どんな菓子が好物だつたか、今思ひ出さうとしても思ひ出せないが、生れてから十年近くを過した四ツ谷塩町附近に、松風堂といふ菓子屋のあつたことを覚えてゐるのは不思議である。
その頃写した写真に、巻煎餅をしつかり握りしめてゐる写真がある。
おやぢがはじめて、モルトンといふ西洋風の菓子を買つて帰つて来た。その後、近所の遊び友達も同じモルトンをしやぶつてゐるのを発見したが、彼等はそれをドロツプと呼んでゐた。なぜ自分のだけがモルトンであるかは、永久にわからなかつた。
十七八の頃、自分の小遣で菓子を買ふやうになつて、僕は、しきりにマシマロを買つた。今から考へると、あの粉をふいた五色の肌こそは、ほのかな香りと、滑らかな弾力とを忍ばせて、怪しくも青春第一歩のノスタルヂイを感ぜしめたものに違ひない。