岸田 国士
移転記録
父の代に大久保百人町に越して来てから、私が、最近、西荻窪に自分の家を建てるまで、凡そ二十七八年間、私自身は殆ど年に一回平均居所を変へてゐる。
九州の連隊にはひつたり、本郷で下宿をしたり、西洋へ行つたりしたことは別として、父が死ぬまで住んでゐた中野新井の家を人手に渡し、下沼袋に母の隠居所を求めて、そこで最初の文筆生活にはひつてからこの方、私は、所謂中央線の沿線を「住みなれた土地」にしてしまつた。
以下おぼろげに記憶を辿つて、私の足跡をしるしてみよう。
野方町下沼袋
岸田 国士
父の代に大久保百人町に越して来てから、私が、最近、西荻窪に自分の家を建てるまで、凡そ二十七八年間、私自身は殆ど年に一回平均居所を変へてゐる。
九州の連隊にはひつたり、本郷で下宿をしたり、西洋へ行つたりしたことは別として、父が死ぬまで住んでゐた中野新井の家を人手に渡し、下沼袋に母の隠居所を求めて、そこで最初の文筆生活にはひつてからこの方、私は、所謂中央線の沿線を「住みなれた土地」にしてしまつた。
以下おぼろげに記憶を辿つて、私の足跡をしるしてみよう。
野方町下沼袋