長塚 節

旅の日記

一

九月一日

金華山から山雉の渡しを鮎川の港までもどつた。汽船で塩竈へ歸らうとしたのである。大分まだ時刻があつたので或旅人宿の一間で待つことにした。宿には二階がある。然し其案内されたのは表の店からつゞいた二間のうちの一間である。他の一間には宿の娘らしい紺飛白の衣物を着た十六七の子が針仕事をして居るのであつた。余は旅裝がみすぼらしいので何處の宿でも屹度待遇は疎末なのである。それでも余の座敷だけは店先からは見えぬやうになつて居る。店先ではとんとんと杵の音がする。余が表の障子をあけて此宿へはひつた時に其障子の蔭で宿の女房らしい女が肌衣一つで下女らしい女を相手に笄のやうな形の丸い杵を持つて小さな臼で白い粉を搗いて居たのである。余は草鞋を解きながらそれはどうするのかと聞くと明日は盆だから佛へ供へる團子にするので米をうるかして置いて搗くのだと其の笄のやうな形の杵を交る/\に打ちおろして居た。其杵の音が聞えるのである。余は座敷へ案内されてからもうるかすといふことが解釋に苦んだ。丁度針仕事をして居る娘は閾一つ隔てたのみであるから娘に聞いて見たらそれは水へ浸しておくといふことなのであつた。顏をあげた所を見ると娘はどことなくぼんやりと冴えないものゝやうである。然し其時はさう思つたまで[#「まで」は底本では「まて」]ゞ別に氣にも止めなかつた。其内に今日は塩竈行の汽船は來ないといふ知せがあつた。殘念だがこゝへどうでも泊らなければならぬことに成つてしまつた。余は鉛筆と手帳とをいぢつて見たが退屈したので新聞を貸してくれといつたら娘は仙臺の河北新報といふのを二三日分持つて來てくれた。それが如何にもはき/\と

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