長谷川 時雨

旧聞日本橋

――老母のところから、次のような覚書をくれたので、「大丸」のことはもっと後にゆっくりと書くつもりだったが、折角の志ゆえそのまま記すことにした。

小伝馬町三丁目のうなぎやは(近三)明治廿四、五年ごろまであったと思います。

大伝馬町四丁目(この一町だけ通はたご町)大丸呉服店にては一月一日表戸を半分おろして、店を大広間として金屏風を立てまわし、元旦一日は凡そ(そのころで三百人以上)三、四百人の番頭、若者、小僧一同に大そうなごちそうが出る。お酒も出る。福引その他、実に一年中を一日に楽しませるので、近所の子供らも皆女中小僧をつれて遊びにゆき、羽根をつくやら、鞠なげ、楊弓もあり踊りもあれば、三味線もあり、いろいろと楽しませ夕方帰りには、山ほど土産をそれぞれにくれました。

大丸の符牒

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