牧野 信一
女に臆病な男
一
務めの帰途、村瀬は銀座へ廻つて、この間うちから目星をつけておいた濃緑地に虹色の模様で唐草風を織り出したネクタイを一本購つた。六円あまりだつた。――少々自分の分在には不相応のやうでもあり、失敗したかな? といふ軽い不安と、別に、つゝましく豪華な買物をしたやうな秘かな興奮を覚えながらいそいそとしてバスに乗つた。然し、バスに揺られながら尚もポケツトにしまつたネクタイのことを考へると、たつたそれ一本が若者らしくもなく何時も地味な暮しをしてゐる自分の傍らに突然不似合にも開いた美しい花のやうでもあり、彼はひとりでに顔のあかくなる思ひに襲はれた。
「少々、のぼせ過ぎてしまつたかな!」
彼は思はず口のうちで、そんなことを呟くと、厭に胸の先がわくわくとして来て、後悔の念に襲はれたりした。……「自分が若し斯んな派手なものを結んだら、さぞアパートの連中がひやかすことだらうな!」