牧野 信一

早春のひところ

一

そのころ私は、文科の学生でありましたが、小説といふものにいさゝかの興味もなく――といふよりも小説の類ひを読んだことがなかつたので――主に西洋の哲学や科学の書に親しみ、興味と云へば星の観測ぐらゐのものでした。ほとんど友達といふものもなく、大概自分の部屋に引込んで、何かこつこつと机の上で辞書を引いたり、書抜をこゝろみたりしながら漫然と孤独の時間を過して居るといふ風でした。――夜になると芝居のはやしの音が、かなりはつきりと響いて来るやうな街なかの医院の二階でした。はやしの音は明治座の芝居からです。その小屋が久松町の川ふちにあつたころで、私は叔母の縁家先だつたその家に寄宿して毎日規則正しく学校(早稲田)へ通つてゐました。しかし私は波多野博士の哲学史の時間の他は図書館に居ることの方が多かつたのです。

そこの医学士の妹であつた千枝子といふ娘は、あたりでも評判の美人でした。齢は私とはたしかおなひどしでしたが、学校を終へてから間もなく神戸の支店(彼女の実家は日本橋の富沢町で毛織物の輸入商を営んでゐたのです。)へ赴いて、多くの外国人と交際して来たといふせゐか、いろいろと世間のことにも慣れてゐるといふ風で、私には彼女が自分と同年とは思へませんでした。彼女が私に告げるさまざまな話題は凡てが私にとつては新鮮な未知の彼方のしかし退屈な夢のやうなおもひでした。――彼女は東京に帰つてからは神田のアテネへ通つてゐることになつてゐましたが、多くは私のゐる医院の方に来て、店では勉強が出来ぬからといふのに、語学の本などは手にとつたこともなく、いつも寝転んだり、脚を投げ出したりしたまゝ小説ばかりを読んでゐるのです

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