牧野 信一

裸虫抄

横須賀にゐる妹(彼の妻の)のところで、当分彼の息子をあづかりたいと云つて寄越したのである。子供のない慎ましい夫婦暮しで、文学の本ばかり読んでゐる妹であつた。彼の息子は、彼が転地療養をすることになつたが、学校の都合で東京の親戚にのこつてゐた。

「トモ子のところなら安心だわ。トモ子はだらしがないけれど、ひとのことには親切だし、それに朝雄さんが責任の強い人だし。」

と彼の妻は落着いてゐた。

彼は半年ばかりの間、その町から五六里も離れた山奥の村で病養の日をおくり、ひとまづ母親のゐる町に立ち返つたのであるが、母を交へようとする家庭の雰囲気が、もう好からうとおぼろ気に期待してゐた彼の思惑とは凡そ掛け離れて、彼の膝にとりすがつてさめざめと涙を流す叔母があつたりして、聞くだに陰惨な雲行だつた。倒れかかつたやうな、あばら家で彼の母親は手まはりのものなどを売りながら、寒々と息子の帰りを待つてゐるといふことをきいたので、彼は扶養の責任を感じ、何か生活の上で新しいわづかな希望をさへ覚えて立戻つたのだが、三日も経たぬうちに、やはり彼は放浪を決心しなければならなかつた。

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