坂口 安吾
『異邦人』に就いて
木枯国で捕虜となった一日本人市民が、その地の病院勤務を命ぜられ、雑役夫として働きつつある物語である。
これを事実として見るのは、まったく当らない。記録文学とよばれるものでも、純粋に事実を記録したと思うのはまちがいで、主観というものがすでに事実をゆがめているものだ。
『異邦人』の場合には、記録性というものは影を没して、ハッキリ文学という自覚のもとに創られたものであるが、いままで現れた抑留生活の記録文学に比して、文学の優位というものを、これぐらい力強く示してくれる作品が現れたということは日本文壇の一収穫であったろう。
この作品にあふれている善意の大いさとたくましさは、この作者が今後何を書かなくとも、この一作で、ながく人の心に生き残りうる生命をもつことを示しているようだ。こんなに幼くて、狂いなく安定した善意というものは、実人生にはないかも知れないが、文学には有りうるし、そしてそのために人間にとって文学が必要なものでもある。しかし、こんなに幼くて安定した善意というものは、たぶんいままでの日本には、書かれたことがなかったように思う。