坂口 安吾

安吾人生案内

悪人ジャーナリズムの話

平林たい子

 おどろいた。胸を打たれてまとまった感想も浮かんで来ない。かぞえてみると私達は廿五、六年来の友人だが、めったにあわなかった。最近、婦人公論の集りで久しぶりに一緒になり、興奮して大いに語った。彼女は心臓の不安を訴えた。フランスにも行きたいが、この体では行かれないと言った。それから私に、フランスへ一緒に行こうとしきりにさそった。私は仕事のむりをやめることを忠告したが、よほどの生理的脅迫のない限り、この忠告がきかれないことは知っていた。

 よく言われる「ジャーナリズムの酷使」が、林さんの死を決定的に意味づける結果となった。徹夜同然の仕事を一年中つゞけて、つゞきものをいくつももち、ほかに一ヶ月間三編も四編も短篇小説をかくなどということは芸術の常識としても勤労の常識としてもあり得ないことだ。そのあり得ないことをやらせようとする追求が、いまの日本のジャーナリズムである。しかし、そばによってよくよく見るとこんな追求性は、「どんらん飽くなき」と言った放恣さとしてよりも、出版資本の没落したくない消極的な焦躁として私達の目に映る。大新聞以外の出版資本は、他産業にくらべて資本の基底が浅く、無名または風変りの作家を売り出して、大損か大もうけかのカケを試みる冒険力をもっていない。宣伝費も割り安で当たり外れのハバの小さい作家にたよって、そう大づかみでなくとも、確実な利益を得る近道を行くよりほか、資本の安全の保証はない。かくして人気作家が生れ、追求が集中し、使いつぶされる。大げさに言えば、林さんの死は、こんな日本の出版資本の特性の犠牲であろう。

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