久生 十蘭
虹の橋
一
北川千代は栃木刑務所で服役中の受刑者で、公訴の罪名は傷害致死、刑期は六年、二十八年の三月に確定し、小菅の東京拘置所から栃木刑務所に移され、その年の七月に所内で女児を分娩した。
受刑者名簿には北川千代となっているが、記名の女性は二十七年の九月に淡路島の三熊山で死亡しているので、もちろん当人であろうわけはない。北川千代の名で服役しているのは、真山あさひという別個の人格なのだが、複雑な事情があって、取調べにたいして、じぶんが真山あさひだという事実も、北川千代でないという事実も、係官が納得するほど充分に立証することができなかったふうである。
女囚が抱いて入ってきた携乳(携帯乳児)や所内で生まれた産乳は、鳥が古巣へ帰るように、その何割までかが、罪を犯して母の苦役の場へ戻ってくるという無情な伝説があって、旧刑法時代には、そういう不幸な人達を「実家帰り」と呼んでいた。