久生 十蘭

泡沫の記

森鴎外の「独逸日記」(明治十七年十月から二十一年五月にいたる)の十九年六月のところに次のような記述がある。

十三日。夜 岩佐(新)とマクシミリアン街の酒店に入り、葡萄酒の杯を挙げ、興を尽して帰りぬ。

翌日 聞けば拝焉(バイエルン=バヴァリア)国王 此夜 ウルム湖の水に溺れたりしなり。王はルウドヰヒ Ludwig 第二世と呼ばる。久しく精神病を憂へたりき。昼を厭ひ 夜を好み、昼間は其室を暗くし、天井には星辰を仮設し、床の周囲には花木を集めて其中に臥し、夜に至れば起ちて園中に逍遙す。近ごろ多く土木を起し、国庫の疲弊を来ししが為めに、病を披露して位を避けしめき。

今月十二日の夜、王は精神病専門医フォン・グッデン von Gudden と共にホフヘンシュワンガウ Hohenschwangau 城よりスタルンベルヒ湖 Starnbergersee 一名 Wurmsee(ウルム湖)に近きベルヒ Berg といふ城に遷りぬ。

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