久生 十蘭
顎十郎捕物帳
角地争い
六月十五日の四ツ半(夜の十一時)ごろ、浅草柳橋二丁目の京屋吉兵衛の家から火が出、京屋を全焼して六ツ(十二時)過ぎにようやくおさまった。
隣家は『大清』というこのごろ売りだしの大きな湯治場料理屋だが、この日はさいわいに風のない晩だったのと水の手が早かったのとで、塀を焼いただけで助かったが、京屋のほうは思いのほかに火のまわりが早かったと見えて、吉兵衛は逃げだす間がなくて焼死してしまった。
京屋吉兵衛は代々の紺屋で、三代前の吉兵衛は京都へ行って友禅染の染方をならって来てこれに工夫をくわえ、型紙をつかって細かい模様を描くことを思いつき、豆描友禅という名で売りだしたが、これが大変に流行し江戸友禅という名でよばれるほどになった。