江見 水蔭
探検実記 地中の秘密
――神奈川方面不有望――草刈と大衝突――家族擧つての發掘――非學術の大發掘――土器一箇千圓の價?――
玉川向ふ、即ち神奈川縣下に屬する方面には、餘り有望の貝塚は無い。いや貝塚としては面積も廣く、貝層も深いのが無いでも無いが、土器の出方が甚だ惡い。矢上然り、高田然り、子母口然り、駒岡、子安、篠原、樽箕輪最も不有望。
其中で、末吉の貝塚は、稍望みがある。望蜀生が完全なる土器の蓋を掘出して來たので、急に行きたい氣に成り、三十六年十二月十四日に、幻花翁、望蜀生、玄川子との四人連、品川から汽車で鶴見、それから一里弱、下末吉村へと行つた。
一寸知れ難い處である。遺跡は廣いが、先年、チヤンバーレン氏が大發掘を試みたとかで、畑地の方は斷念して、臺地北側の荒地緩斜面の中に四人は入つた。