中井 正一
映画のもつ文法
すべての民族の言語が、文法をそれぞれもっているのをみて、私はいつも考えさせられるのである。誰もこれをつくる約束の会議を開いたのでもないのに、ちょうど水晶が結晶をつくるように、精密な一つの法則をつくっていく。人間社会も、宇宙の大きな旅路の中の、一つの、生成しつつある結晶体のように思えてならない。
かく考えてみれば、歴史も、また大きな詩の流れでもある。私は映画が、この二十世紀の前半に発生し、推移した事実を、静かに顧みてみて、これまでの考えかたでは割りきれようもない、実に多くのもてあます問題にぶつかるのである。しかも、この推移の中に、やはり、そこに新しい結晶の、新しい軸糸をもっているらしいのに驚くのである。
せんだって、『暁の雷撃戦』“The Western Approaches”というイギリス映画が輸入されたけれども、これはイギリスのドキュメンタル・フィルムとしては注目さるべき作品である。まず最初、輸送船団の船長と、それを警護する艦隊の艦長の委員会の情景から、クランクが回わされている。
この筋には個人としての主役がない。主役はこの船団と、警護の艦隊であり、それらのものが考え込む姿は、委員会であり、話しあう姿は、おのおののラジオの信号、光の点滅のモールスとして交索するのである。