芥川 竜之介

槍ヶ岳紀行

一

島々と云ふ町の宿屋へ着いたのは、午過ぎ――もう夕方に近い頃であつた。宿屋の上り框には、三十恰好の浴衣の男が、青竹の笛を鳴らしてゐた。

私はその癇高い音を聞きながら、埃にまみれた草鞋の紐を解いた。其処へ婢が浅い盥に、洗足の水を汲んで来た。水は冷たく澄んだ底に、粗い砂を沈めてゐた。

二階の縁側の日除けには、日の光が強く残つてゐた。そのせゐか畳も襖も、残酷な程むさくるしく見えた。夏服を浴衣に着換へた私は、括り枕を出して貰つて、長長と仰向けに寝ころんだ儘、昨日東京を立つ時に買つた講談玉菊燈籠を少し読んだ。読みながら、浴衣の糊の臭ひが、始終気になつて仕方がなかつた。

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