織田 作之助

神経

一

今年の正月、私は一歩も外へ出なかった。訪ねて来る人もない。ラジオを掛けっ放しにしたまま、浮浪者の小説を書きながら三※[#小書き濁点付き片仮名カ、321-上-4]日を過した。土蜘蛛のようにカサカサの皮膚をした浮浪者を書きながら、現実に正月の浮浪者を見るのはたまらなかった。浮浪者だけではない。外へ出れば到る所でいやでも眼にはいる悲しい世相を、せめて三※[#小書き濁点付き片仮名カ、321-上-7]日は見たくなかった。が、ラジオのレヴュ放送を聴いていると、浮浪者や焼跡や闇市場を見るよりも一層日本の哀しい貧弱さが思い知らされた。

近頃レヴュの放送が多い。元来が見るためのレヴュを放送で聴かせるというのがそもそも無理な話で、いかにも芸がなさ過ぎるが、放送局への投書によれば、レヴュ放送を喜んでいるファンもあるという。戦争中禁じられていたものを聴きたいという反動の現れだろうか。

しかし私は「想出の宝塚名曲集」などという放送を聴いて、昔見たレヴュを想い出してみたが、こんなものを禁止したのもおかしいが、あわてて復活したり放送してみたりするほどのこともあるまいと思った。女の子が短いパンツをはいて腰を振ったり足を上げたりするだけでは、大したエロティシズムもないし、豪華だとか青春の夢だとかいって騒いでいたのもおかしい。所詮は子供相手のチャチな、毒にも薬にもならぬみすぼらしい見世物に過ぎなかったのではあるまいか。あんなものを豪華だといって誇っていた戦前の日本も、結局はけちくさい貧弱な国だったのかと、改めて情けなかった。豪華といってみたところで、宝塚のレヴュなぞたかだか阪急沿線のプチブル趣味の豪華さに過ぎ

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