吉江 喬松
霧の旅
北國街道の上には夏草がのびてゐた。
柏原から野尻湖まで一里ばかりの間、朝霧が深くかゝつてゐて、路上の草には露が重かつた。汽車をおりて初めて大地を踏んで行く草鞋の心持、久振で旅を味ふ心には、總てが鮮かに感じられた。
柏原には一茶の俳諧寺の在ることは聞いてゐたが、霧が深くて見に行く氣にもなれなかつた。何處の國道沿ひにでも見る破驛の姿は此村にも見られた。桑の葉の蒸されたやうな香ひと、上簇期に近い夏蠶の臭ひとが、家々の戸口からもれて、路上に漂つてゐた。
村を出拔けると、霧の間から白樺の林の樹幹だけが、ぼんやりと兩側に見えて來た。しとしと草を踏んで行く自分の草鞋の足音だけが耳に入つた。不圖立ち停ると、急に周圍がしんとして來る。霧が一層濃く覆ひ被さつて來るやうな氣がする。其中で、霧が林の木の枝に引きかゝり、白樺の簇葉にからまつて、やがて重い露となつて、ぼた/\草の上へ落ちるのが聞える。