江見 水蔭
悪因縁の怨
一
天保銭の出来た時代と今と比べると、なんでも大変に相違しているが、地理でも非常に変化している。現代で羽田というと直ぐと稲荷を説き、蒲田から電車で六七分の間に行かれるけれど、天保時代にはとてもそう行かなかった。
第一、羽田稲荷なんて社は無かった。鈴木新田という土地が開けていなくって、潮の満干のある蘆の洲に過ぎなかった。
「ええ、羽田へ行って来ました」
江見 水蔭
一
天保銭の出来た時代と今と比べると、なんでも大変に相違しているが、地理でも非常に変化している。現代で羽田というと直ぐと稲荷を説き、蒲田から電車で六七分の間に行かれるけれど、天保時代にはとてもそう行かなかった。
第一、羽田稲荷なんて社は無かった。鈴木新田という土地が開けていなくって、潮の満干のある蘆の洲に過ぎなかった。
「ええ、羽田へ行って来ました」