田山 花袋
日光
一
野州はすぐれた山水の美を鍾めてゐるので聞えてゐる。水石の美しいので聞えてゐる。深い溪谷の多いので聞えてゐる。雲煙の多いので聞えてゐる。
中でも、日光の山水を持つた大谷川の谷と鹽原の勝を持つた箒川の谷とが一番世に知られてゐる。しかし、この他に鬼怒川の大きな溪谷のあることを忘れてはならない。
しかし、何と言つても一番すぐれてゐるのは大谷の峽谷だ。電車が通じ、凉傘が日に照り、都會の人々を乘せた籠や車が絶えずその谷の岸を通つて行くので、頗る俗化されて了つたやうなところはあるけれども、それでも山の深いために持つた男性的の烈しい氣分は、決してその峽谷を全く平凡化しては了はなかつた。風は凄じく鳴つた。溪は凄じく怒號した。雲霧は時の間に咫尺を辯ぜぬばかりに襲つて來た。一度洪水が出れば、その凄じい烈しい濁流は例の朱塗の橋をも呑まんばかりの勢を呈した。