高村 光雲
幕末維新懐古談
とかくしている中、また一つ私の生活に変化が来ました。
それは牛込神楽坂の手前に軽子坂という坂があるが、その坂上に鋳物師で大島高次郎という人があって、明治十四年の博覧会に出品する作品に着手していた。
これは銀座の三成社(鋳物会社)が金主となって大島氏に依嘱したものであるが、その大島氏と息子に勝次郎(後に如雲と号す)という人があって、まだ二十歳前の青年であるけれども、なかなか腕の勝れた人で、この人が主となってその製作をやっておった。ところが、大作のこととて、なかなか大島氏父子の手だけでは十四年出品の間に合いそうもない所から、十二年の暮頃から、しきりと製作を急いで来たがどうも手助いを頼む人物がなかなか見当らない。そこで、父の高次郎氏が、どういう考えであったか、その助手を私に頼むことに決めたと見え、或る日、突然、私の宅へその人が訪ねて来たのである。
高次郎氏に逢って見ると、「実は、これこれで仕事を急いでいる。是非一つ来てやって頂きたい」