佐藤 垢石

猿ヶ京

このほど、元代議士生方大吉君の案内で東京火災保険の久米平三郎君と共に、上州と越後の国境にある三国峠の法師温泉の風景を探ったのである。途中、猿ヶ京の部落を過ぎたが、車中で生方君から人間の真情について、まことに珍しい、そしてほんとうに羨ましい話をきいた。

猿ヶ京には、幕府の関趾があった。徳川時代、越後や出羽方面の諸大名が、江戸へ参観交代に罷り出るには、越後路から三国峠を越えて必ず猿ヶ京の関所を通ったものである。だから、この部落には今でも昔の宿場風の建物が残っており、ここから二里奥の峠のすぐ麓の法師温泉は本陣という格で、そこには湯女もあまたいたらしく、今から八、九十年昔は、大分賑やかな街道筋であったらしいのである。

しかし、今では僻陬の寒村になってしまった。維新後、上野から碓氷峠を越え、長野、直江津と鉄道が敷かれては、この三国峠など越える人はいない。殊に、この二十年ばかり、上越線が開通してからは、南越後の人も、上州の人も、すべて鉄道を利用して、三国峠を見捨ててしまったらしい。通行の人は、法師温泉へ行く人か、この村の人々が出入りするばかりだ。

群馬県利根郡新治村の最も奥の部落が猿ヶ京で、法師温泉まで二里の間、僅かに数戸の小屋が峡間に、一、二点在しているのである。だが、昔は関所があっただけに、なかなか大きな部落で、山の村としてはどの家も構えが大きい。

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