佐藤 垢石

香魚と水質

食事が、必要から好厭に分かれ、さらに趣味にまで進んできたのは、既に五千年の昔であるのを古代支那人が料理書に記している。必要と好厭は、動物の世界にある共通の事実だが食品を耽味するという道楽は、人間ばかりが持っている奢りらしい。

新秋の爽涼、肌を慰むるこの頃、俄に耽味の奢りが、舌端によみがえりきたるを覚える。けだし古来、生は食にあるか性にあるか、と論ぜられるけれど、性食渾然としたところに人生があるのではあるまいか。だが、筆者は既に中老、性の方面はドライの域に入りて数年、いまはただ食味の方面のみ、人生の造営を眺めているのである。

大根、菜、芋、茸などの姿を眼に描けば、皮下に肉脂溢るる思いがする。野菜の味品ほど人に親しまれるものは他にあるまい。魚獣の佳味、美器の艶谷を誇ったところで、野菜の点彩がなければ、割烹の理に達したとはいえないであろう。

野菜の至味を想う頃、筆者の食感を揺するものに、初秋の鮎がいる。共に、野趣豊かな高い香気を持つゆえのものは、一つは地中の滋汁を吸って育ち、一つは川底の水垢を採って生き、何れも大自然から直接栄養を得ているためではあるまいかと思う。

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