岡本 かの子
兄妹
――二十余年前の春
兄は第一高等学校の制帽をかぶっていた。上質の久留米絣の羽織と着物がきちんと揃っていた。妹は紫矢絣の着物に、藤紫の被布を着ていた。
三月の末、雲雀が野の彼処に声を落し、太陽が赫く森の向うに残紅をとどめていた。森の樹々は、まだ短くて稚い芽を、ぱらぱらに立てていた。風がすこし寒くなって来た。
東京市内から郊外へ来る電車が時々二人の歩く間近に音を立てて走った。電車とは別な道の旧武蔵街道を兄妹は歩いているのだ。妹は電車の出来ない前は郊外の家の自家用人力車で、女学校の寄宿舎から一人で家へ帰った単純な休暇行路を思い出しながら、自分の寄宿舎に近い第一高等学校の寄宿舎へはいった兄と、今年の春休みには一緒に家へ帰れるのが、楽しかった。もう二里も歩いているのだった。すこし疲れて、体がほっと熱ばんで来ていながら袴の裾の処がうすら冷たくずっと下の靴できっちり包んでいる足の先は緊密に温い。道の土がかわいて処女の均整のとれた体重を程よくうけとめて呉れる。二人は、わざと電車に乗らないのだ。歩けるまで春の武蔵野を歩いてみたいのだ。