蒲原 有明
『二十五絃』を読む
詩はこれを譬ふれば山野の明暗、海波の起伏なり。新しき歌の巻を読むは、また更にわが身に近くして、さながら胸の鼓動を聴くここちす。今『二十五絃』を繙いて、泣菫子が和魂の帰依に想ひ到れば、この荒びし世をつつむは黄金の靄、白がねの霧――幻夢※(「倏」の「犬」に代えて「火」、第4水準2-1-57)ちに湧きのぼれり。
四季の移りかはりばかりをかしきはあらじ。しかはあれ泣菫子が為めには、こもまた徒なる花の開落にあらずして、人生迷悟の境なりき。花ごよみと品さだめとの軽びたるこころ慰さならで、天啓に親しむ機縁なりき。天啓は熱意の夢に添ひ、大御光は『血しほに染める深手』をも癒すべし。
されば『魂の住家は大御慈悲の胸』にして
そこには救世の御仏